北海道の寒い冬の夜、丸い鉄板から立ち上る湯気と共に広がる独特の香り。そこには北海道民のソウルフード「ジンギスカン」を囲む人々の笑顔がある。モンゴル帝国の創始者の名を冠したこの料理は、どのようにして札幌の定番グルメとなったのか?その歴史と魅力に迫ってみよう。
羊が北国に根付くまで:意外な歴史
ジンギスカンの歴史は意外にも新しい。日本人は伝統的に羊肉を食べる習慣がなく、「羊肉は臭くて食べられない」という固定観念があった。北海道で羊肉食文化が広まったのは、昭和の初め頃のことだ。
実は北海道の羊肉普及には、毛織物生産という意外な背景がある。当初は毛を取るために飼育されていた羊だが、肉の有効活用を図ったことがジンギスカン誕生のきっかけとなったのだ。月寒(つきさむ)種羊場と滝川種羊場がその普及に大きく貢献した。
面白いのは、戦中・戦後の食糧難の時代に羊肉が「貴重なタンパク源」として注目されたことだ。ここで登場したのが、札幌のベル食品。家庭用ラーメンスープなどを販売していた同社が、ジンギスカン用の臭みを消す美味しいタレの開発に成功したことで、一般家庭にも広まっていくきっかけとなった。
なぜ「ジンギスカン」と呼ぶのか?
この料理の名前の由来にはいくつかの説がある。最も有力なのは、モンゴル軍が兜(かぶと)の上で肉を焼いて食べていたという伝説から、中央が盛り上がった特徴的な形状の鍋が「ジンギスカンの兜」に見立てられたという説だ。
実はこの説には歴史的な裏付けはないといわれている。むしろ、中国大陸との交流が多かった戦前に、餃子やラーメンなどの料理と共に、中国から「ジンギスカン」という名称が入ってきたとする説もある。いずれにせよ、モンゴル軍の戦士たちが食べた料理と現代の札幌で食べるジンギスカンには、直接的なつながりはないようだ。
札幌ジンギスカンの特徴:文化と味わい
札幌のジンギスカンには大きく分けて2つのスタイルがある。
- 生ラムスタイル:羊肉を下味なしで焼き、食べる時にタレをつける方法
- 味付けスタイル:あらかじめ醤油ベースの特製タレに漬け込んだ羊肉を焼く方法
特に札幌では「生ラム」を好む傾向がある。これは、新鮮な羊肉本来の旨味を楽しむために発展したスタイルだ。地元民の間では「ラムとマトンの違いがわかるのが通」とされ、ラム(子羊)の柔らかさを好む人も、マトン(成羊)の深い風味を好む人もいる。
鉄板の上のサーカス:食べ方の作法
ジンギスカンを食べる時の作法も独特だ。中央が盛り上がった鍋の周りには野菜を置き、頂上部分に羊肉を置く。肉から出る脂が野菜に流れ落ち、その脂で野菜も一緒に調理される仕組みになっている。
地元の人たちの間では、こんな食べ方のコツが伝わっている:
- 最初に野菜を鍋の周りに敷き詰める
- 肉は中央の高い部分に置く
- 焼けた肉からタレにつけて食べる
- 野菜は肉の脂がしみ込んでから食べるのがベスト
- ビールとの相性は抜群
札幌ジンギスカン巡礼:知られざる名店
札幌市内には数多くのジンギスカン専門店がある。地元民に長年愛される店から、観光客に人気の店まで様々だ。特に「すすきの」エリアには名店が集中している。
老舗の「だるま」は札幌ジンギスカンの代名詞とも言える存在。「羊々亭」や「生ラムジンギスカン 山小屋」は地元民からの支持も厚い。特に山小屋は昭和31年創業の「景勝園」の味を引き継ぐ歴史ある店だという。
面白いのは、各店によって羊肉の種類やタレが異なること。生ラム、生マトン、丸く成形したロール肉など、バリエーションも豊富だ。中には「熟成塩ジンギスカン」や「ジンギスカンステーキ」など、伝統に新風を吹き込む創作メニューを提供する店も増えている。


ジンギスカンと北海道の未来
農村部の栄養改善に始まり、今や北海道を代表する観光グルメとなったジンギスカン。その歴史は北海道開拓の歴史と深く結びついている。
興味深いのは、かつては「臭い」とされた羊肉が、今や「香り豊かな高級食材」として再評価されていることだ。サステナブルな食材としても注目され、若い世代にも愛されるジンギスカンは、これからも進化を続けていくだろう。
札幌を訪れたなら、ぜひ地元の人々と同じように、湯気立つジンギスカン鍋を囲んでみてほしい。そこには北海道の大地と歴史、人々の知恵が凝縮されている。羊肉の香りと共に、北国の物語も味わえるはずだ。
北海道の先人たちは「臭い」とされていた羊肉を、工夫と情熱で北海道の名物に変えた。札幌のジンギスカンは、単なる料理ではなく、北の大地の挑戦と創造の象徴なのだ。